« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月27日 (金)

「20世紀少年」を曲解する

先日、「R50は『20世紀少年』を読むべき」を書きましたが、実はその日、電車の中でどう見ても50歳超の白髪まじりのおじさんが「20世紀少年」を読んでいるところに遭遇したことから書いてしまいました。本当は今日のテーマが書きたかったというわけです。

51mtslnvcl__ss400_

地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す-ビョルン・ロンボルグ-

それはこの本も同時期に読んだせいでしょうか。温暖化問題に加熱する世界に警鐘をならす一冊です。とにもかくにも「20世紀少年」と温暖化問題を無理やり絡めて曲解してしまおうというのが今日のテーマです。

「20世紀少年」は世界征服を企む悪の組織「ともだち」とそれに立ち向かい世界を救うケンジ一派の物語です。
物語では、世界を救うことを吹聴する「ともだち」を支持する世論に対し、ケンジ一派は世界を滅亡に陥れるテロリスト集団というレッテルを貼られます。
「ともだち」は生物兵器をばら蒔くという凄まじいテロ行為と、またそのワクチンをばら蒔くという自作自演の危機と救済を行い、そのテロ行為の主犯をケンジにしたてあげ、一方「ともだち」は世界を救うヒーローとなります。
その後「ともだち」は政権まで握り、なんでもかんでも思うがまま、世界をも騙して全人類の救世主気取りです。
そんな世界では本当の善のケンジ一派は絶対悪、本当の悪の「ともだち」は善として人々の常識と化してしまいます。

私はここまで物語を読んだとき、現在の地球温暖化議論によく似た構図だと曲解してしまいました。
京都議定書をはじめ、世界のコンセンサスであるCO2削減派からみると、少数派である温暖化対策疑問派の意見は絶対悪に近いものがあります。おそらくCO2削減が世界の常識でしょう。政権まで握っているのですから多くの人々には疑いようのない常識です。しかし、事実は「ともだち」同様、温暖化問題を煽りたてる行為は、CO2削減派による自作自演の悪なのです。
CO2削減派の「ともだち」は排出ガス削減枠の取引という名目で結局CO2を大量に排出しています。
一般人にはカーボンオフセットという免罪符を売って金を吸い上げた上にCO2排出を助長します。
また「ともだち」はCO2削減だけでなく、リサイクルするという名目で実際にはリサイクル困難なペットボトルを大量生産させたり、焼却すれば体積10分の1以下になるはずの燃えるゴミを燃えないゴミと偽って処分地をわざと拡大させたりと、政権と連動しているものだからやりたい放題です。しかも言葉巧みにその行為を「エコ」といい、疑いようのない善として人々を洗脳していきます。
科学的には京都議定書を完全達成したところで100年後に気温上昇が予測される+2.4℃のうちの0.18℃だけその上昇を軽減できるといいます。これはIPCCによるモデルで科学的にはまったく議論の余地がないという(「地球と一緒に頭も冷やせ-ビョルン・ロンボルグ-」P41.)。そしてその軽減は気温上昇をたった5年先のばしにするだけで、対する費用は全世界で5兆ドルを超えるらしい。こんな馬鹿げた費用対効果があるものでしょうか?
これは「ともだち」の正体のたった一部分に過ぎません。マスコミも「ともだち」の支配下にあるので科学的議論の余地なのいホントのことでも「ともだち」の都合の悪いことは言いません。それより温暖化は人類に大変な災厄をもたらすという洗脳メッセージをたれ流し続けています。
本当の善であるケンジ一派こと温暖化対策疑問派の方々の声は大きな権力と、間違った多数派の声に掻き消され、まるで人でなしのようなレッテルまで貼られます。
私はいつか、「20世紀少年」の「ともだち」のように本当の悪の正体が暴かれる日が現実にやってくるだろうと信じて疑いません。世界を騙し続けた温暖化対策推進派が駆逐され、世界の限られた予算が正しく利用される本来の世界が取り戻される日を。
例えば世界では食糧問題や衛生・医療、紛争の解決のため優先的にお金は費やされるべきだし、身近なところでは自治体のゴミ袋やカーボンオフセットなど無用な費用負担のない本来の生活が取り戻されるべきです。
そのためには世界に蔓延する洗脳から人々を目覚めさせる強烈な「きっかけ」が必要です。
早晩、悪は駆逐されるでしょう。それが来週か100年後かはわかりません。そのうち強烈な寒冷化が訪れるかもしれないし、アメリカが温暖化対策無用論を言い出すかもしれません。
しかし洗脳をうち消すきっかけはもっと些細なことかもしれません。
そのヒントが「20世紀少年」の物語中に隠されているのではないかとこれも曲解してみたわけです。
私はどんなレッテルを貼られようが温暖化対策を根底から疑問視するケンジ一派です。まあケンジのように善かどうかはわかりませんが、温暖化対策ばかりを声高に主張するのは間違いなく悪です。特に政治権力やマスコミがからむと完全に「ともだち」と同じです。

ゴア氏、「不都合な真実」に続く新作本を出版へ

ノーベル平和賞受賞者で元米副大統領のアル・ゴア氏が、地球温暖化に警鐘を鳴らしたベストセラー「不都合な真実」に続く新作本を11月3日に出版する。-(中略)-

 同氏は「『不都合な真実』では地球温暖化が人類文明の未来を脅かし、それ(地球温暖化)は解決すべきあり、解決できるというメッセージが何百万人もの人々に届いた」とコメント。

もしかしたら「ともだち」の正体はアル・ゴアかもしれません。しかし、「20世紀少年」同様、最後の最後まで「ともだち」の正体はわからないのかもしれませんし、実はみんな知っているのかもしれません。

とにもかくにも、善なる少数派のケンジ一派=温暖化対策疑問視派のみなさんのゲリラ的かつ草の根的な真摯な活動に心よりエールを送ります。

Banner_02

←加熱する地球温暖化論議に少しでも疑問をお感じの方、クリックお願いします。

人気ブログランキングへ

2009年3月24日 (火)

R50は「20世紀少年」を読むべき

51vqwbqikgl__sl500_aa240_ 20世紀少年(ビッグコミックス)全22巻+21世紀少年 上・下(浦沢直樹)

現在、映画館で第2章が上映中の「20世紀少年」は、浦沢直樹原作のコミックです。
第1章を映画館で見てはまり込み、第2章公開時には育児のため映画館に見に行けなくなったため、腹いせに全22巻+上下巻の全巻をブックオフオンラインで大人買いして最後まで読破してしまいました。
「20世紀少年」は1970年代に小学生だった少年、もっと具体的に言えば今年50歳を迎える「少年」たちが世界を救うという壮大な物語です。
物語の舞台は1970年代と現在、未来が錯綜して展開しますが、すべての発端は1970年の少年たちが近所の空き地に作った秘密基地の中での出来事から始まります。
私はこの年代より20年ほど時代を下るのですが郊外の片田舎で育ったためこの物語で出てくるような子供の遊びである秘密基地やら肝試しやらを一通り経験しました。そしてその経験は主人公のケンジと同じように記憶の隅に追いやられていたもので、ある種の懐かしさや思い出そうとしても細部までは思い出せない歯がゆさがあります。
だからこの物語は私やそれより若い世代より50歳前後の年輩の方々に是非読んでいただきたい漫画です。おそらくその年代の少年はウッドストックやTレックスなどの洋楽を聞いてるだけで不良と呼ばれたのではないでしょうか?浦沢直樹とほぼ同年代のリリーフランキーによるベストセラー「東京タワー」にもそこらへんの少年時代の時代背景が描かれていました。

とにかくその辺の年代で演歌やグループサウンズなどという生温い音楽より、ビートルズから脈々と受け継がれるロックに魅了され、戦後からの脱却や闘争よりラブ&ピースを叫び、大阪万博やアポロ11号に象徴される人類の発展と未来の新技術に興奮した少年たちのための漫画といっても過言ではありません。
さてその少年たちが今どうしてるかというと、50を目の前に、会社では課長や部長という重い責任をかせられ、または次の取締役員として会社の経営や後進の指導の責任者となりながらも、パソコンやウェブの技術革新に翻弄され、年金や退職金の額に不安を覚えている年代ではないでしょうか?
おそらく仕事やプライベートの時間でも忙しく、映画鑑賞や漫画や読書さえもも長い間していなんじゃないでしょうか?そんな50歳を迎える「少年」たちは是非「20世紀少年」を映画館で見るなり、漫画を読むなりしていただきたいものです。
巷ではアラサー(30歳前後)やアラフォー(40歳前後)またはアラカン(還暦前後)という言葉がありますが、なぜか50歳前後を呼ぶ言葉がない。

しかし、この「20世紀少年」という言葉がこの年代には相応しいのではないかと思います。
「20世紀少年」に登場する20世紀少年たちは本当に力強い。それは物語中の舞台となる1970年、2000年、2015年いずれの時代においてもです。
なぜ「アラ○○」と呼ばれることもないくらいに今の50歳前後は元気がないのでしょうか?本来彼らは「20世紀少年」のように力強い何かを持っていたはずです。「アラ○○」と呼ばれないということは経済活動が極めて弱く存在感がないということです。
秘密基地のなかでライク・ア・ローリング・ストーンを聞きながらアームストロング船長の話題に花を咲かせ、まだ見ぬ未来に無限の可能性を夢みていた少年たち=中間管理職として業務の改善に頭を抱えながら、バブル期の住宅ローンも抱え、子供の学費や仕送りの工面のために自分の趣味や時間を犠牲にしている50歳の少年たち。
浦沢直樹がそんな同年代に向けて強いメッセージを発しているのがこの作品なのだと多少曲がった感想を抱きました。

そんな50歳前後の世代が元気になると、日本の景気ももう少し元気になるかもしれません。

R50の少年よ 大志を抱け!!

Banner_02←応援お願いします。

人気ブログランキングへ

2009年3月15日 (日)

お金は箪笥に預けるな

0015691779l_2

「お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 -勝間和代著-」

要は多少のリスクを背負ってでも、資産は運用したほうがよいということです。

当たり前といえば当たり前のことで、金融に疎い私にとって何か目からうろこ的なものを望んでこの本を手に取りましたが、それほどお勧めの良本とはいえませんでした。したがってリンクは張ってません。

リーマンショックの前の景気が上向いていた頃にこの本を読みましたが、やはり資産運用は貧乏人には無縁の事だと認識させられただけでした。

この本のタイトルにあるように私には「金融リテラシー」という能力はありません。しかし、タンスに預金はしない方がよいことぐらいはわかります。タンスだと災害や盗難などのリスクがあるわりにリターンはないで、銀行に預けた方がマシだという程度ですが。税務署に睨まれるということは名の知れた資産家だけの話で、一般の庶民はタンスだろうが、預金だろうが税金にそれほど差はありませんので税金対策という考えは毛頭ありません。

その昔、四国の田舎者が(決して四国全体を田舎呼ばわりしているわけではないです(汗)。例え話ということで・・・)、大阪で暮らす息子に300万円の送金をするのに、「銀行が信用ならん」ということで、銀行を使わず鉄道とフェリーを乗り継ぎ息子に直接お金を渡そうとしていたところ、フェリーの2等寝室でうたたねをしている間に枕元に置いていた300万円が盗まれたという、悲劇とも笑い話とも言える事件がありました。

この笑い話のように銀行を信用しないのでお金を預けるな、ということではありません。おそらくお金を預けるにあたってはどんな会社や誰よりも銀行が最も信用をおけるでしょう。だから私は銀行にお金を預けています。

株やFXや先物を買って資産にリスクを背負わせる代わりにリターンを増やそうという考え方が「金融リテラシー」の第一歩です。この本では、日本人は特に資産を運用していない。と吠えています。一方、わたしをはじめ多くの日本人は別にリターンが欲しくて資産をどこかに預けているわけではないと思います。つまり利息が欲しくて銀行を選んだわけではなく、一番安全で信用がおけるから銀行に預けているだけです。そしてこれがいかんということらしいです。

資産があるなら運用しなさい。お金を稼いだら、今度はそのお金に稼いでもらいなさい。

果たしてそれが正解でしょうか?わたしはそうは思いません。

日本人の多くはリスクを嫌い、資産があってもなくてもコツコツお金をためて銀行や郵便貯金(今はゆうちょ銀行ですが)に預けます。これは日本の国民性というやつです。この本でも諸外国、とくにアメリカやヨーロッパの先進国の人々の資産運用と日本人とを比べていますが、なんでもかんでも欧米の真似事や欧米至上主義をいい加減やめたらどうかと思います。まあ、欧米の真似事も日本の国民性ですが・・・。

それを証拠にリーマンショック以降の世界的金融不安では一時的に諸先進国の投資マネーの行き場がなくなり、日本の銀行や日本企業に一時避難してきているというではないですか。それは日本が最もリスクの少ない資産運用をしているがため、日本が一時的にも最も金融の安全な国家と世界が認めたことになります。

つまり、日本の国民性が世界でユニーク化し、それがステータス化しているということです。ここに日本の特徴があり、リスクの少ない資産運用にも存在意義があるということです。

だから、お金を銀行に預けてなんら恥じることはないのです。コツコツとお金を貯めて、セッセと節約をし、銀行口座の預金残高がわずかずつ増えていくことに小さな幸福を覚えるような健全な庶民のくらしを批判する権利は誰にもありません。

資産のある方は別に好きなように運用してもらったらいいですが、庶民は小さな一戸建てを買うローンの返済とわずかながらの生命保険だけで資産キャパはいっぱいいっぱいなのですから。(それができるだけでもまだ恵まれている生活だと思いますがね)

以上、住宅ローンの返済と子供の育児費用の工面で精一杯の一庶民の意見でした。

Banner_02

←わたしも庶民と思われる方、クリックお願いします。

人気ブログランキングへ

2009年3月13日 (金)

花粉症地理学(2)

昨日のブログ花粉症地理学(1)での考察を深く掘り下げてみようと思います。

みかんの話題を取り上げましたが、それは「温州みかん」のことです。紀州発祥のこのみかんを紀伊国屋文左衛門が和歌山から江戸に運んで大ヒットし、一財を成したといわれる超ロングセラーのブランド品です。ブランド名としては和歌山県産の「有田みかん」が有名ですが、実はホントの発祥は有田市の隣の海南町に合併された旧下津町の「しもつみかん」です。

「しもつみかん」を扱うJAながみねでも取材をおこなったことがありますが、近年はみかん農家の高齢化のため、みかんの収穫量も減ってきているようです。みかんは重量が重い上に単価が安く、山の斜面での農作業になるため、かなり重労働です。そのためJAながみねでは「蔵出しみかん」など、みかんのブランド化や差別化をはかり、みかんの単価を上げる努力をしているそうです。

さて話を元に戻しますが、

このみかんの産地が実に花粉症を引き起こすスギ・ヒノキなど常緑針葉樹の分布とかなり重なります。どちらの温暖湿潤な気候を好み、山地斜面を利用して栽培・植林されるものです。したがって、花粉産地の人はみかんを安価で大量に買うことができるので、花粉症になりにくいのではないかという結論に達します。

実際、みかんにはアレルギーを抑える抗ヒスタミン作用があるは古くから知られています。「みかん 抗ヒスタミン」で検索すると、とくに青みかんにその作用があるようです。しかし、ネットでかかれているほどその作用は強くないというのが私の印象です。だいぶ以前に、「みかんには抗ヒスタミン効果があることは事実だがその量は極めて微量」ということが書かれたアカデミックな資料を目にした記憶があります。つまり、やはり大量に摂取しないとその効果は疑わしいものがあります。

私はこの「大量に摂取する」の基準を、これまでの経験から一冬の間、毎日複数個のみかんを食べ続けることで達成されると考えました。おいしかろうが、まずかろうが、みかんを毎日何個も何個も食べ続けられる環境を整えれば、おそらく冬が終わり、春が来る頃には花粉症というアレルギー症状を抑えるだけの効果が得られるのだと思います。

おそらく、花粉症罹患率と花粉発生地とみかん生産地もしくはみかん消費体系に地理的な法則性が見つかるはずだということが強く予察されます。この事実にもっと早く気づくことができれば、私の地理学での論文課題にでもできそうなものでした。ひいては地理学を医療に役立てることができたかもしれません。

そうすれば東京都のマユツバ政策「花粉の少ない森づくり運動」などという物に対しても、「花粉の少ないスギに変えても、花粉症と花粉の量は関係ないよ」と提言できるんですが。

そうでなくとも花粉以外に新興国による大気汚染やそれを付着させた黄砂などの影響で、今や花粉症は花粉だけの原因ではないようなことが言われているというのに。

「花粉症地理学」深く掘り下げればますます面白そうです。

と思いつつ研究テーマではなく単なる空想で終わってしまいそうです。

誰かこの研究を本気でしてくれませんか?

Banner_02

←今後とも引き続き応援お願いします。

人気ブログランキングへ

2009年3月12日 (木)

花粉症地理学(1)

今年も既に花粉症の季節です。

私もご多分に漏れず花粉症の一人です。しかし、数年前まではとんと花粉症なんぞにはなったことはなく、春先にマスクをしている人たちを気の毒そうに傍観しているだけの楽天家でした。

私が花粉症にかかったのは5年ほど前のこと、東京に住み始めて3年ほど経った頃のことでした。大阪から上京した私は、東京ではマスクをする人がやたら多いことに驚きを奇妙ささえ感じていました。風邪や花粉症の人たちがマスクをしていることは理解できましたが、大阪ではおそらくそういう人たちもよほどのことがない限り、マスクをしている人は珍しいくらいでした。最近は大阪でもマスクをする人の割合は増えてきたように思いますが、それでも東京を行き交う人たちの方が多くマスクをしています。

私が花粉症にかかったのもそんな東京での生活の中でした。花粉症になりマスクをして通勤する自分の姿に「これで私も晴れて私も立派な東京人じゃん?」って思ってみたところで虚しいだけでした。

それまで花粉症になったこともなかったのになぜ花粉症が発症したのか?私は大阪と東京の違いからいろいろ考察してみました。

まず大阪と東京の地理的な違いからです。

大阪の花粉の一大生産地はなんと言っても紀伊半島でしょう。かつて天領として木材を供給していた「紀の国=木の国」。紀伊半島の紀伊は木を表現するときに発音する「きぃ」という関西弁が語源とされているくらいの木の生産地です。その種類も杉・檜がほとんどで、花粉症患者が最も反応する花粉を大量にばら撒きます。この花粉が春の南風に乗って大阪平野まで飛来することは容易に想像できます。

一方、東京の花粉の一大生産地は東京の木材供給地、奥多摩地方でしょう。いや奥多摩よりはるか西の南アルプスまで杉や檜生い茂る山地が延々と連なります。この広大な山岳地帯から生産された花粉が偏西風に乗って首都圏まで飛来することは容易に想像できます。東京都では「花粉の少ない森づくり運動」などというマユツバ物の運動まで行政主導で行なっているようです。要は花粉の少ない杉に植え替えるキャンペーンだそうです。よくもまあなんでも金になることを思いつくもんだなと思いますが、今日のネタとは趣旨がズレますので批判はここまで。

とにもかくにも花粉の生産については東京も大阪も五分のように思われます。

しかし地形的に見ると、大阪は南と、西の中国山地にも花粉の生産地が見られますが、その通過点には瀬戸内海や大阪湾など結構、海が近くにあり、一方、東京では花粉生産地との間にこれといった大きな水部が見当たらず、東京の方が、花粉が降着する場所が少ないような気がします。まあ、花粉が海に吸着されるのかどうかはわかりませんが。

という見方してみて、どうやら東京の方が花粉の飛散する量が多いかもと考えたのち、果たして花粉の多い少ないが花粉症の発症と関連するのだろうかという疑問がふとわきました。

だって花粉生産地に近い田舎の住人より、遠い都会の住人の方が花粉症になりやすいのですから、花粉の多い少ないはあまり関係ないように思われます。かつて群馬県の関東森林管理局に営業で出入りしていた頃に気がついたのですが、花粉症真っ只中の3月下旬に、林業に深くかかわっているはずのそこの職員さんたちの誰一人としてマスクをしている人がいなかったということが強く印象に残ったという記憶があります。

また関西での仕事で和歌山県の林業従事者に取材にいったときにもその集落でマスクをしている人は一人も見かけませんでした。

花粉の生産地に近いほど花粉症にかからない。ということはこれは花粉の多い少ないと花粉症は関係ないなというのが私の印象です。

さてそうすれば何が花粉症と関係するのか、今度は自分が花粉症に罹るまでの生活スタイルをさかのぼって考えてみることにしました。

東京に住む前の大阪での生活と、東京での生活。食の好みがそんな変わるわけでもないので普段の食事もそんなに変わりません。それではそんなに好きでもないけど、大阪では大量に食べていて、東京ではほとんど食べなくなった食材はなんだろうといろいろ考えをめぐらせて行くうちに、ついにその食べ物に思い当たったのです。

それは「みかん」でした。

みかんは私にとってはそんなに好きでも嫌いでもない食べ物です。しかし、大阪の実家に住んでいるときには冬にはコタツの上にかならずみかんの籠がのっていました。暇なとき、手を伸ばせばみかんがあったので、意識もせずに一日に何個も食べていました。大阪に限らず、おそらく南日本の田舎の方に行けばいくらでもある風景だと思いますが、冬にはダンボールいっぱいのみかんを1箱千円前後の値段で大量買いしては家の台所など冷暗所に置いていた家が多かったと思います。

それが東京に住むようになって急にみかんが縁遠い存在になったのは、やはりみかんの入手のしにくさからだと思います。東京ではまず安いみかんが手に入りくいのです。スーパーでは愛媛産、静岡産、和歌山産などブランド産地のおいしいみかんが売られています。しかしこれが高い。一袋5~6個入って400~500円ほどします。これは高い。粗悪品が混じっててもいいからダンボール1箱何十個も入って千円という売り方は4年間の東京生活でついぞ一度も見ることはできませんでした。

そんなこんなで東京ではひと冬で10個のみかんを食べるかどうかという程度でした。これが大阪と東京での花粉症発症に関する決定的な違いではないかと思い至ったわけです。

と長くなってきたので明日以降に繰越。

Banner_02

←今後とも引き続き応援お願いします。

人気ブログランキングへ

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

人気ブログランキング

広告

  • 私も登録しています
    お財布.com - 無料で手軽に貯まる魔法のお財布

Amazon

無料ブログはココログ

アクセス解析

  • アクセス地域

最近のトラックバック

ブックオフ