源氏物語に見る地理感
今年は源氏物語千年紀です。
紫式部が書いた恋愛ドロドロの小説は、今だその面白さが色褪せません。
それはいわゆる恋愛モノという物語においてあらゆる要素が網羅され、人が恋をすることにまつわるあらゆる普遍性に既に行き着いた作品だからだと思います。
源氏物語以降の恋愛モノはすべて源氏物語の二番煎じだと言っても過言ではないかもしれません。
しかし私はそんな源氏物語に、空間的な広がりがあることに興味を持っています。
物語中で最も好きなくだりが、源氏が都を追われ、須磨に長逗留しないといけなくなったとき、これを励ましに旧知の親友である頭中将(当時、権中納言)が須磨下りまで訪れるというシーンです。
当時朝廷で出世街道を順調に歩んでいた頭中将が、朝廷の反感を買って都を追われた源氏に会いに行くことは、キャリアに傷がつく可能性が充分にある中での行為です。かつてのライバルに激励と発破をかけにいくシーンは頭中将のなかなか男気を見たような気がしました。ドロドロの恋愛劇の物語中、非常に爽やかなこのシーンが好きです。
話を戻しますが、まず源氏が須磨に下る際、京の都を夜更けに出立し、淀川を下り、難波の堀江から海に出て、日が西に傾きかける頃に須磨の浦に着いたとあります。
すると当時は京都から須磨まで船を一回乗り継いで、約15時間前後で須磨についたことになります。これを早いと見るか遅いとみるかですが、水上ルートだと100km弱くらいの距離になりますから、時速7km程度だと思われます。歩くよりちょっと早いくらいのペースでしょうか。
参考までに車の場合では高速道路も使ってスムーズに行けば1時間半くらいで移動できます。
この距離は源氏にとってもそれほど遠くない距離という認識があったようです。
わたしは、このような空間的感覚が平安の宮中の女性、紫式部に備わっていたことにまず驚きました。
現代でも京都-須磨間の時間距離を正確に捉えている女性は少ないのではないでしょうか。
源氏物語にはこの他にも明石、太宰府、比叡山、初瀬、越前、常陸といった地名が登場します。
紫式部は滋賀県の石山寺でこの源氏物語を書いたとされますが、父 藤原為時の都合で越前の国に数年間住んでいたようです。
おそらく須磨や明石、また比叡山や初瀬参りには訪れたことがあるのでしょう。移動シーンがかなり詳細に書かれています。
玉鬘(たまかずら)の章では太宰府が登場しますが、玉鬘が九州から畿内へ夜逃げするシーンは時間的描写がうまくごまかされています。
越前や常陸からは移動シーンは描写されません。
しかし、紫式部その人がこれだけの世界観を持っているというのが驚きですし、源氏物語の面白さのはこのダイナミックさも重要なスパイスとなっています。おそらく平安当時の宮中女性の間ではこのような世界観は非常に新鮮に映ったに違いありません。
一方、源氏物語終盤の「宇治十帖」についてはそのような世界観が一切なくなってしまいます。時代も源氏の次の世代に移り、地理的空間も北は比叡山から南は長谷寺まで、物語の視点はほとんど宇治から動かなくなります。
したがって個人的には「宇治十帖」は好きではありません。ちょっと源氏物語本来の趣に欠けると思います。
ここからはわたしの独断の感想ですが、わたしは源氏物語の作者が複数いるという学説を指示します。その根拠は先に述べたとおり、紫式部のもつメンタルマップというか、その世界観と「宇治十帖」があまりにかけ離れているため、宇治十帖は別の人物が書いたと思われます。おそらく紫式部から引き継いだ第二の作者が、紫式部の恋愛劇を受け継いで書くことはできても地理的感覚まで引き継ぐことはできなかったんだと思います。
それは地理的感覚とは経験に基づく能力だからです。
結局はそれが言いたかっただけかもしれませんが、源氏物語が世界に誇るの日本最古の最高傑作であることは間違いありません。

